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SAPIENS TALK Vol.05 中村貞裕(1/4)

ブランディングカンパニー「クロマニヨン」が主催するトークライブ「SAPIENS TALK」。

時代を生き抜く「SAPIENS(知性ある者)」たちに、直接問いかけるリアルなトークライブ。コロナ禍でますます世界を狭めてしまいがちな今こそ、ダイレクトな言葉を通して多くの人に刺激ときっかけを発信したいと思っています。よろしくお願いします。

第5回目となる今回は、株式会社トランジットジェネラルオフィス代表取締役の中村貞裕氏をお招きしました。同社はカフェやレストランなど約120店舗を運営し、海外の人気店を次々に日本に上陸させ、他にもシェアオフィスやホテル、スパ、鉄道などのプロデュースを行い常に話題のスポットを生み出している会社です。変わり続ける世の中に何を見て、何を感じながらコトを起こすのか?どうやって情報を集めるのか?どうやって才能ある仲間を引き込むのか?

体験したことがない空間の創造を通して、ライフスタイル・カルチャーを再定義してきた中村氏に、変革の時代におけるプロデューサーの条件について迫りました。

 

ゲスト:中村 貞裕(株式会社トランジットジェネラルオフィス代表取締役)
モデレーター:小柳俊郎(株式会社クロマニヨン 代表取締役/CEO)

 

小柳:今日のゲストは株式会社トランジットジェネラルオフィスの代表取締役社長 中村貞裕さんです。

中村:こんばんは。

小柳:中村さん、昨日までLAにいらっしゃったんですよね。

中村:はい。昨日帰ってきてそのまま夜は久しぶりの東京を満喫しちゃったのですごく眠いんですけど(笑)。今日はテンションを上げて頑張りたいと思います!

小柳:中村さんと出会ってからもう9年の付き合いになりますけど、今日は改めて色々とお聞きしていこうと思いますので、よろしくお願いします。

中村:質問多めがいいです!最近こういう会で質問を頂いてアドリブで答えていることから、僕が覚醒したり、仕事が生まれたりすることがあって。僕の頭の中に眠っていたものが呼び起こされることが多いので、自分の為にもたくさん質問をしてください。ぼーっとしちゃってる脳に刺激を与えて欲しくて(笑)

小柳:分かりました!質問多めでバンバン聞いていきます!

 

◆オフィス設立までの道のり

小柳:まずは中村さんの会社「トランジットジェネラルオフィス」についてですけど、会社を作る前に先にカフェを開業されたんですよね。

中村:そうですね。僕はとにかく飽きっぽくて熱しやすく冷めやすく、何も続かない人生を送っていたんですけど、大学を卒業して伊勢丹に入って恩師である藤巻幸大さんに出会いました。藤巻さんってカリスマバイヤーと言われて、百貨店業界でスターだったんですよ。伊勢丹で「解放区」という、才能のある有望な若手を委託でなく買い取って、一階の一番いい場所にセレクトショップをつくるという売り場のプロデュースをされていて。藤巻さんの下で働きたかったので伊勢丹に入ったのもあるんですけど、入社してわりとすぐに藤巻さんの下で働けることになっても、飽きっぽい僕は案の定辞めたくなっちゃって。退社したくなった時に藤巻さんから「伊勢丹という会社は法的なことを起こさない限りはクビにならないし、好きなことをやれ」って言われたんです。好きなことって何かなと考えて思いついたのが、学生時代にずっとやっていたイベントの企画でした。

小柳:若手時代かからベントの企画をされていたんですね。

中村:藤巻さんの下にいると、アシスタントである僕も若手デザイナー、クリエイター、宣伝のメディアの方など色々な方の名刺をもらうんですけど、朝8時から夜12時ぐらいまでずっと働くような会社でとにかく忙しいので、お会いしてもきちんと対応出来ずに終わってしまうんですよね。それが嫌だったので藤巻さんに話して毎週金曜日は残業しないで18時にあがらせてもらい、その方々を集めるようなパーティーをやらせてもらいました。

小柳:名刺交換だけで終わってしまうのが嫌だったんですね。

中村:このパーティーをやろうと思ったのは海外での体験がきっかけなんです。僕は伊勢丹の時に、藤巻さんについて有給休暇を取ってニューヨークに付いていったことがあったんですよ。まだアシスタントだったので仕事として行けるような状況ではなく、自腹で行ったんですが(笑)。

小柳:自腹(笑)!

中村:商品を売り込んだり、なんとなく同じ空気を吸いたかったんですよね。ついて行っても一緒に行動出来ないことが9割だったんですけど、その9割の時間を使って色々なところに行ったんです。

パリのカフェに行った時に、昼間は爽やかなカフェだったところが夜になると中が何も見えないようになっていて。入口にドアマンが立ってセキュリティも万全なんですけど、中から音楽がガンガン聴こえてくるから「どうなっているんだろう」って気になったんですよね。覗き込むんですけど、リストに記載がないと入れないからいれてもらえなくて。でも中から出てくる人もお洒落な人ばかりだし、どうしても気になって。3時間ぐらい粘っていたらドアマンも「もういいわ」となって隙を縫って入らせてもらったんですけど(笑)その時に見たパーティーがすごくかっこ良くて「あんなパーティーをやりたいな」と思ったんです。

小柳:よっぽど海外での体験が印象深かったんですね。

中村:はい。会場は当時流行っていた(ひらまつ系列の)「カフェ・デ・プレ」という店舗を、平松さんに直談判をしてお借りして。文化服装学院のメンバーにボランティアで手伝ってもらい、布で括って中を見えないようにして、入口にタキシードを来たドアマンを立たせて、リストがないと入れないというイベントをやりました。DJは田中さん沖野さんといった当時若手で一番ノリノリのメンバーにお願いして、駆け出しのデザイナーであった、ミハラヤスヒロくんの靴の展示をやったり、当時あまり売れていなかったけど今は大御所になっているバンドのライブをいれたり。毎回いろんなコンテンツを入れながらイベントをやっていたら、気付けばゲストリストが1万人ぐらいになって。

小柳:1万人ってすごい数ですね!

中村:そのリストを使って伊勢丹の中で大きな仕事を3つぐらいやった時に、藤巻さんが40歳で辞めることになったんですが、僕も30歳で独立して何かやろうかなと考えていたので退社したんです。人が好きだったのでイベント会社か飲食店をやろうかなって悩んでいたんですけど、イベントはファッションショーをやっているすごい方がたくさんいたので諦めて。それで飲食がやりやすいのかなっていうのと、両親が1・2階で飲食店やっていたビルの5階が倉庫と事務所だったのでそこを又貸ししてもらって何かやろうと思ったんです。
当時は一大カフェブームの走りの瞬間だったんですよね。

小柳:カフェブーム、ありましたね。

中村:このカフェブームが22年前。少し前のタピオカの10倍ぐらいすごいブームがきて、「夜お茶」というフレーズが流行ったんです。それまで「カフェバー」っていうものはあったんですけど、夜にお茶をしながらご飯を食べて、お酒も飲まないでだらだら2時ぐらいまでカフェで過ごすというダイナースタイルではなかったんですよ。僕らのイベントも、カフェブームのはしりとなった駒沢公園の近くにある山本宇一さんの「バワリーキッチン」というお店でミーティングをしていたんですけど、そこに来ているのがみんな僕の友達で「誰かがカフェを作ったらそこにみんな集まれるじゃん」みたいな流れがあったんです。だから物件もあるし「みんなの溜まり場を作ろう」っていうノリで、「僕が作る」って言ったらみんなが手伝ってくれました。

小柳:このカフェ「OFFICE」が中村さんが最初に作ったお店になるんですよね。

中村:今でも伊勢丹の中では辞めた後に作ったことになっているんですけど、実は伊勢丹在籍中に作りました。そしたら、結構流行っちゃったんですよね(笑)。下の1・2階の両親のお店も人が入っていなかったので、それを「Sign」というカフェに変えることになった時に、さすがにそこまでなると難しくなったので伊勢丹を辞めて、会社を作りました。だから会社を作る前に先にお店を作った感じですね。

小柳:なるほど。

中村:僕の大好きなモデルさんが雑誌の撮影でカフェを使うとなった時なんかは、会社を抜けて立会いに行ったりしていました。

小柳:不良社員ですね(笑)。それはそれで楽しかったんじゃないですか。

中村:バレたら絶対クビなんですけど(笑)。副業の方が楽しいっていう時はありますよね。

 

>>>>PART:2へ続く

※中村貞裕インタビュー

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