SCROLL
-PEOPLE
  • #プロランナー
  • #大迫傑
PROFILE
プロランナー 大迫 傑
プロランナー 大迫 傑 1991年生まれ。東京都出身。中学校時代に本格的に陸上を始め、長野県にある佐久長聖高等学校に進学。早稲田大学時代には箱根駅伝に4度出場し、区間賞を2度獲得。大学卒業後は日清食品グループを経て、2015年にナイキ・オレゴン・プロジェクトに移籍。2017年4月のボストンマラソン3位、同年12月の福岡国際マラソンで3位。2018年10月のシカゴマラソンでは当時の日本新記録をマーク。さらに2020年3月の東京マラソンで自身の持つ日本記録を更新。2021年8月、引退を表明しのぞんだ東京オリンピックでは6位入賞。2021年9月には自身が代表を務める株式会社Iを設立。

常識やセオリーを鵜呑みにするな。他人に左右されず、自分自身 = I を信じる。(前編)

2021年8月8日、東京オリンピックの男子マラソン競技、日本人最高位の6位入賞を果たした大迫 傑さん。レース直前の7月29日に自身のSNSで「東京オリンピックをラストレースにする」と電撃発表し、大会にのぞんだことでも話題を集めたが、そもそも、学生時代、現役時代から注目されるのは常だった。

早稲田大学卒業後、日清食品グループと契約。しかし、そのわずか1年ほどで所属契約を解消し、2015年からはアメリカの長距離選手強化を目的とした陸上競技チーム、ナイキ・オレゴン・プロジェクト所属に専念。日本では、高校もしくは大学卒業後、実業団に入り、駅伝やマラソン、トラック競技で活躍するというのが一般的な長距離選手が選ぶ道のため、そのセオリーを自ら脱した大迫さんは、陸上界では“異端”と称されることも多々あった。

常識とされることが、本当に正しいのか

「僕は常に自分にとってベストな道を選んできただけです。常識はずれと言われることもありましたが、常識だと思っていることが非常識である可能性も十分にあり得ます。僕の選択はシンプルに目標と向き合えば、自ずと選ぶべき道だっただけ。逆にセオリーにならっている方が本来進むべき方向を間違っているのでは、ぐらいに思っています。」

「また、行ったきりになるのではなく、時には戻ることも重要。そうやって行っては戻ってを繰り返した上で選んだ道だから、僕にとっては、なんの疑いもなく正解」と大迫さん。その姿勢は「まっすぐ進んできたのは、むしろ僕の方だ」と強く言い切るほどで、この判断力と決断力こそ、大迫さんの強さの一つの理由だろう。

やりきったと言えるのは、ちゃんと負けた経験から

東京オリンピックのレース後、2時間10分41秒という記録で完走した大迫さんは「やりきったという気持ちがすべて。みなさんにメダルを期待していただいて、僕自身、チャンスがあればメダルも狙っていましたが、今回はそのチャンスがなかった。ただ、自分自身の力はしっかりと出し切れたと思う」と語っていた。やりきったと言い切れるのは素直にすごいことだ。

一方で、2018年10月、シカゴマラソンで、当時の日本記録を更新し、その後のぞんだ2019年3月の東京マラソンでは29km地点でリタイアをした。大迫さんは「僕には先頭についていく力がなかったのではないか、やめたことは自分の弱さではないか、シカゴで日本記録を出したことに満足し、東京マラソンに対してモチベーションが足りていなかったのではないか。そんな自問を大会が終わって1〜2ヵ月間、ずっとしていました」と、2021年7月30日に発行された著書『決戦前のランニングノート』(文藝春秋)の中でつづっている。さらにその後、2019年9月に行われたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)での惜敗。2位以内に入って日本代表になりたいとのぞんだレースだったため、悔しい思いはもちろんあったそう。

つまり、常に「やりきった」と考えられるわけではないということ。後悔も人並みにする。ただ、「ちゃんと負けないと、どうしても変わらない部分がある。負けたことによって得たものは、ものすごく大きかった」と、冷静に判断できるのも、東京オリンピック後に「やりきった」と言い切れた理由だろう。

主語を“I”にすることで、人生はもっと豊かになる

東京オリンピック後には、「次の世代の人たちが頑張れば、絶対にこの6番のところからメダル争いに絡めると思う。ここからがスタートで、これが最低ライン。日本人の多くの人にプライドを持って、来年以降、戦っていってほしい。僕自身、そういう人たちの6番からのもう一歩先へというところを手助けできるような活動をしていきたいと考えている」ともコメントしている。それを体現するように、現役引退からわずか1ヵ月ほど経った2021年9月、自らが代表取締役を務める法人、株式会社I(アイ)を設立した。

同社設立の目的は育成・マネジメント・地域活性の大きく3つ。具体的には、大迫さんが現役時代から取り組んできた大学生を対象とした育成プログラム「Sugar Elite」、自身がランナーとして得た知見を子どもたちに伝える「Sugar Elite KIDs」をはじめ、アスリートのマネジメント事業、地域活性化のコンサルティング、アドバイスを主な事業内容としている。

大迫さんは「SNSが普及した昨今、“だれか”に言われたとか、これが話題“らしい”とか、他人が主語になりつつある。そうじゃない。自分がなにをしたいか、自分がどう思い、どう感じたという点こそが大事。そういう考えから、主語を“I=私”にするだけで人生は豊かになると思うんです。さらに、Iという文字は1(ファースト)にも見えますよね。最短距離での目標実現を目指す本質ファースト、オンリーワンの価値を見つけるための自分ファースト、大都市圏でなくても夢の実現を可能にする地元ファースト、そして何かに挑戦する第一歩を後押しするファーストステップ。すべての事業において、そんなテーマを掲げて取り組んでいきたい」と起業理由を説明。

また、株式会社Iの起業に際し、大迫さんが自らの意思ですべてのアクションを起こしている点も重要だ。一般的に著名人が起業する場合、PRになるという側面からも、良くも悪くも多くのスポンサーが絡み、事業展開にはスポンサーの意思が多分に組み込まれてくるもの。大迫さんは自身の意思を貫きたいと、あえてスポンサーはつけない選択をとった。それは、株式会社Iで行う事業のすべてが大迫さんの意思である証。ひいてはそれが、参加者の熱量の高まりにもつながるという考え方だ。

「現役は引退したけれど、まっすぐに進んできた道の延長線上にまだいる」という言葉も印象的。「競技者としてのゴールは、東京オリンピックで迎えましたが、アスリートとしてはまだ走り続けている感覚。だから、現役引退をしても、“改めて”という気持ちには一切なりません。競技者として走り続けているときも同じ。たとえ日本記録を樹立したとして、その瞬間の喜びはあっても、それはすなわち次のステップへのスタート。常にそんな感覚に近かったのかも」と大迫さん。

実業団というチームを離れ、アジア人初の選手としてナイキ・オレゴン・プロジェクトに所属していたことからも、孤独なランナーという表現も過去にはされてきた。大迫さんは「もちろん、レース出場などに際し、だれかの力を借りないといけなかったのだけれど、海外をフィールドにした日々のトレーニングは孤独な部分も多々ありました。ただ、僕にとって一人でいることは楽しいもの。群れることなく、孤独という選択をできるのも才能の一つだと僕は考えています。孤独が好きだったというか、なにものにも左右されない時間を楽しんでいたんでしょうね。群れていたらなにもできないと僕は思っています」。

インタビュー【後編】は11月下旬公開予定

大迫傑さんのインタビュー【前編】はいかがでしたか?このインタビューの後編は11月下旬に公開予定です。公開のお知らせは SAPIENS のメールマガジンにてご案内しますので、まだ登録がお済みでない方は下記のリンクからメールマガジン【CLUB SAPIENS】にぜひご登録ください。

LET'S SHARE

RANKING

INTRODUCTION

ABOUT
SAPIENS

生き抜くための知性を共有するプラットフォーム
SEEMORE
COMMUNITY

MAIL
MAGAZINE

メールマガジン「CLUB SAPIENS」をお届け
SEEMORE