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SAPIENS TALK vol.01 松本日出彦(前編)

ブランディングカンパニー「クロマニヨン」が主催するトークライブ「SAPIENS TALK」。
時代を生き抜く「SAPIENS(知性ある者)」たちに、直接問いかけるリアルなトークライブ。コロナ禍でますます世界を狭めてしまいがちな今こそ、ダイレクトな言葉を通して多くの人に刺激ときっかけを発信したいと思っています。よろしくお願いします。

 

その記念すべき1回目は、京都・伏見に新たに登場した酒蔵「日々醸造(にちにちじょうぞう)」の代表にして杜氏の松本日出彦氏にお越しいただきました。自身の蔵元である『松本酒造』を父親とともに去ることになってしまった松本氏。失意の底から立ち上がり、自らのブランド「日日(にちにち)」を世に出すまでの震える物語と伝えたい想いに迫りました。

ゲスト:松本日出彦(日々醸造株式会社 代表取締役/杜氏)
モデレーター:小柳俊郎(株式会社クロマニヨン 代表取締役/CEO)
協力:ONE STORY

小柳:皆さん、こんにちは。まず最初に・・皆さんは、日本酒の消費量が70年間で66%減少している事実をご存知でしょうか?そんな日本酒が減っていると言われている厳しい状況の中でも、日本酒は時代とともにどんどん進化しています。そして、実際に売上を伸ばしている酒蔵はあるのです。今日はそんな中でも話題のブランドとなっている「日日(にちにち)」という日本酒をリリースした人をお招きしました。私が知りうる中で、この一年を一番激しく生きた方と言っていいかもしれません。「日本酒という未来を体現する男」、日々醸造株式会社 代表取締役の松本日出彦さんです。

小柳:松本さん、よろしくお願いします。

松本:はい。よろしくお願いします。

小柳:早速ですが、松本さんは新しい蔵を建てて今年の5月に日本酒「日日」を発売したばかりですよね。僕思うんですけど、インスタとかで、タレントさんの名前でハッシュタグを検索するといっぱい出てくるじゃないですか。でも「#松本日出彦」で調べると、たくさん出てくるんですよ。個人的なSNSというメディアで、多くの人が発信したくなる理由は何なのかも今日感じたいなと。ちなみにSNSって見ていらっしゃいますか。

松本:僕はエゴサーチはしないんですけど、Instagramで「#日日」のハッシュタグを付けている方は必ず見るようにしています。まったく知らない方もあげてくれるので嬉しいですね。

 

松本日出彦のルーツ

小柳:松本さんは創業230年の酒蔵の息子さんなんですよね。1791年(江戸時代)創業、京都伏見の松本酒造に生まれたんですけど、どんな少年でしたか。

松本:祖父がずっとやっていて父親が継いだので流れ的に自分が跡取りという雰囲気もあったんですけど、僕自身のびのびと過ごさせてもらって、小さい時から「好きなことをやれ」と言われていました。

小柳:「酒造りやるんだぞ」と言われたことは?

松本:一回もないですね。だからやらなきゃいけないというプレッシャーもなかったし、好きだった音楽や自分の興味あるものでご飯が食べれたらいいなと夢を見ていました。

小柳:ラグビーをやっていたんですよね?

松本:ラグビーの前に幼稚園・小学校からアメフトをやっていて、がたいが良かったんですよ。偶然入った高校が自分が入部した年から強くなって。強いチームじゃなかったのに、高校一年の時から全国大会に出て、高校二年の時には優勝しちゃって。

その時に「モチベーション」という言葉を聞きました。「意識を高く持て」「自分たちはなんでラグビーをやっているんだ」とみんな真剣に言っているんですけど、僕は「がたいがいいから誘われて入っただけだし」と一人だけ冷めていて。でも仲のいいチームメイトに引っ張られて「真剣にやるのもいいんだな」と。この頃にチーム全体のヴァイブスの作り方みたいな、スポーツで考え方が根付き始めましたね。いろんなキャラの選手がいる中で、どうモチベーションの流れを持っていくかを肌で体感できたのは良かったかなと思います。

小柳:蔵に遊びに行かせてもらったんですけど、松本さんは蔵の方々との関係性がいいんですよね。その関係性ってラグビーでの経験が今にも活きているんですか?

松本:高圧的な感じは出していないつもりだし、フランクにやっているんですけど、それぞれの役割はお互いに意識してチームを作るようにしていますね。

小柳:ラグビー部での経験が、チーム作りを培ったんですかね。その後一流のラグビー選手を目指すと思いきや、プロのスクラッチDJを志したんですよね?

松本:父がもともと学生の時にプロのハワイアンバンドをやっていたから、楽器や音楽が常に家にあったんですよ。僕も音楽が好きでバンドをしていたんですけど、高校三年でラグビーの引退が見えてきた時に、自分が何をするか意識をするようになって。

怒っていたり愛情表現をしたり、攻撃をしたり、音楽の表現方法として90年代のラップがかっこいいなと、ストリートカルチャーに憧れがあって。2000年代に90年代のヒップホップが、世界で一番盛り上がっている「渋谷」でやってやろうと思ったんです。だから通っていた高校は大阪だったんですが、渋谷が近いと思って関東の大学に進学したんですよ。そしてらキャンパスが渋谷まで2時間かかるという事実を入学してから知りました(笑)。

なんとか先輩の車で渋谷のクラブまで音楽をしに行っていました。下っ端なので自身が出演する時間は一番最初や最後の時間だったんですけど、フロアを見渡して「この四人だけでいいから爆上がりする選曲をやってやろう!」という思いでやっていましたね。

なぜ酒造りの世界に入ったのか

小柳:プロのDJを目指そうとする中で「ある方の言葉で人生が動き出した」という話を聞きましたが、教えていただけますか。

松本:アーティストのバックDJをしていた先輩から「有名アーティストのレーベルから出る新人のバックDJ兼マネージャーを探している」という話を聞いて推薦してもらったんです。音源審査が通ったのでその事務所のオーディションを受けました。最終審査までは10日間しかない。時間が足らないから寝ている場合ではない!と思った僕は熟睡できないように布団を敷かずに床で寝たりしてました。アホですよね。そんな感じで10日間で10kg痩せるぐらい、大好きなお酒も飲まずひたすら練習しました。

そうして臨んだオーディションの本番だったんですが、ありえないことが起こったんです。僕のプレイ中に片方のスピーカーだけ音が飛んだんですよ。プロの方がセッティングしてくださっているからそんな現象は起こらないはずなんですけど、なぜか起こってしまった。そのせいで審査員である有名アーティストさんもトーンダウンしちゃって。

最終的に「松本君、将来何したいの」って話になったんですけど、なぜか憧れの方を前に「実は実家が日本酒を造ってまして、将来は酒蔵をどうにかしたいと思っています」という話をしてしまったんです。何しにきてるのって感じですよね(笑)

松本:当時は焼酎が大ブームで「日本酒は飲まないよね」とか言われて時代だったこともあり「それでも酒蔵を、守らなきゃいけないと思っている」という話までして。当然、結果はダメでした。その後思ったんです。これだけやり切って臨んだオーディションで、音が飛んだり、面接でお酒の話をしてしまった。「あぁ、これはもう酒造りに進むしかない」という踏ん切りがつきました。

小柳:そんな風に導かれたんですね。その後はどう酒造りに邁進したんですね?

松本:大学を卒業後、更に東京農業大学で二年間基礎を学びました。ただ座学では現場ですぐ活きるものを学べる訳ではなかったので、実家の蔵に戻る前にどこかで修行をさせてもらえないかと思っていたんです。なんとなく父に相談したら「自分で探しなさい」と言われたんですよ(笑)。

だから、自分で買って「美味しいな」と思った日本酒のラベルに書いてある蔵の代表番号に24件電話をかけました。そして唯一会ってくださった「萬乗(ばんじょう)醸造」さんで三造り(三年弱)お世話になりました。

小柳:きつかったですか?

松本:はい(笑)。8人でお酒を造るチームだったんですが、休みはゼロで住み込み、隣のおじいちゃんとの布団の距離は20cmぐらい。自分のパーソナルスペースは両隣の20cmと枕元のボストンバッグだけ、そこで雑魚寝をして寝るというタコ部屋で過ごしました。

自分の空間を大切にしたいという思いが全て崩れて、自分が美しいと思っていたものが全て否定されたんですけど「美味いものを造るにはそんなことじゃない」と教えていただいた場所でしたね。

小柳:そして2007年26歳でご実家に戻って酒造りをスタートされたと。この時はまだ杜氏(とうじ)さん(=酒蔵の最高製造責任者)にはなられていないんですよね。

松本:そうですね。この時は父に「黙って見てろ」と言われて。2年後の28歳で杜氏になりました。

小柳:杜氏になってから、お酒の業界が少しずつ見えるようになったと思うんですが、10年ぐらい何を考えながらお酒を造られていましたか。

松本:当時は制限があって。実家の蔵の水や使う米、スタッフの能力、製造のボリュームなどですね。自分の実家の中でやらなきゃいけない物作りをしていたんですけど「今の業界の中で香りが高い、甘いなど人気とされるタイプじゃないものを、日本酒のスタイルとして提示していかなければいけないんじゃないか」という自分なりの使命感を持ってやっていましたね。

小柳:「澤屋まつもと 守破離(しゅはり)」は松本さんの代名詞のように支持されました。あのお酒も、その使命感で生まれた感じですか?

松本:そうですね。「今売れている人気のお酒ってご飯と合わせて美味しいのかな」って。小売店の営業の方に売れていると思う20本を持ってきてもらい、定期的に並べてスタッフ全員でテイスティングをしていました。

小柳:いろんなお酒を造られていましたもんね。ラベルを手書きしたり、お米を変えて造られたり。「次何をやるんだろう」と楽しみにしていた覚えがあります。サウナのお酒なんかも造られていましたよね。

松本:父も祖父もサウナーで(笑)。京都って銭湯が多いんですけど、僕も10歳ぐらいから毎日連れて行かれてサウナに慣れ親しんでいました。

ある時「サウナで気持ちよくさっぱりした後にご飯を食べると美味しいよね」って話があって。ご飯を食べる時にせっかく美味しいコンディションだったら、清々しいコンディションの時に日本酒も気持ちよく飲んでもらいたいなと思って。どういう味が作れるか試験的に、人生で1本だけ造りましたね。

業界騒然の衝撃的な運命

小柳:そうやって様々なチャレンジをしている時に起こった衝撃的な事件、「松本酒造離脱」についてなんですけど。当時「2020年12月31日付で松本酒造の取締役を退任します」とタイムラインで流れてきたんですが、どんな状態でどうなったというところを共有できることがあれば教えていただけますか。

松本:自分が杜氏になって12年ぐらいやっていたんですけど、もともと会社の株が分かれていて、父親と一緒にまとめていかなきゃとやっていたんですよ。ただ雲行きが怪しくなってきたのが4年前(今から言うと6年前)、父親主導で積極的にやり始めている途中に、今の経営陣が出現してきて「自分たちに任せてくれ」という雰囲気になったのでまずいなと。

お互いに弁護士を入れて、ちゃんと話し合いましょうと皆さんの見えないところで丁寧にやっていたつもりなんですけど、突然酒造りの一本目を搾ったタイミング、僕も含め造りのスタッフなど現場の人間が抜けられないタイミングで、いきなり父親を辞めさせたんです。

「なんでそんなことするんですか」「とにかく恥ずかしいから辞めましょう。気持ちは分かったから、やるにしても、せめてちゃんとシーズンが終わって、そこから夏にちゃんと体制を考えてやりませんか?」と言ったんですがどうにも止まらず。「父を辞めさせたい、自分たちが全部決めたい」みたいな感じで。申し訳ないけど、僕はそういう人たちと一緒に仕事はできないし、おそらく僕がこれからやらなきゃいけないことは、その経営陣の元でできなくなると考えました。なので、父親が解雇となった時点で、僕も辞任というかたちで退きました。

小柳:酒造りの真っ最中だったんですよね。

松本:真っ最中ではあったんですけど、雲行きが怪しかったのでずっと危機感はありました。まさかこんな最悪のパターンだと思わなかったんですけど、起こり得たとしたらちゃんと考えないといけないなと思っていました。

小柳:松本さんはメディアにもバンバン出ていますし、辞めるとは思っていなかったんですかね。

松本:もしかしたら辞めても僕が当然何もできないと思っていたのかもしれないですけど。でもああいう状況だったら居られないですよね。とは言え、全員昔からの親戚な訳ですよ。どこか「分かってほしいな」っていう気持ちや「違うんだぞ」という想いだったり、蔵への愛情、スタッフもどうしたらいいんだろうと諸々あったんですが、場所や物、人に依存してしまうと身動きが取れなくなるので。

これから生きていく上で一番大切にしなきゃいけないのは何だろうと思った時に「自分の責任を果たせる現場を自分が作らなければ、生きる意味がない」と思ったんですよね。自分の仕事ができる場所にいなければ、どんなところにいたって、何をしたって、自分の責務も果たせない、だとしたら今の松本酒造にはいられないと思ったんですよ。だから辞めました。辞めないほうがいい理由もたくさんありましたけど、理解がある人たちではなかったので、ここは一旦離れるしかないと決断したんです。

小柳:そういう想いだったんですね。でも自分で決めたこととは言え、自分の実家のことですからね。あの時は私も声を掛けられなかったんですよ。どんな精神状態でいたんだろうって。一般的に言うとうつ状態ぐらいまでいったんですか。

松本:そうですね。ただ僕がうつになってしまっては意味がないので、とにかく三食ちゃんと食べましたね。生活を正しました。家族と一緒に住んでいるので、子供達にご飯を食べさせる時に必ず私も一緒に食べて、朝もちゃんと起きて。ただ夜は寝れないんですが、ネットで映画などを観まくってました。一度考えちゃうとどんどん考えちゃうんで、何も考えないようにしていましたよ。

 

>>どん底とも言える状況から、はたしてどう復活したのか?

SAPIENS TALK vol.01 松本日出彦(後編)に続く

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