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SAPIENS TALK Vol.06 松尾 大(2/4)〜松尾大のルーツ

松尾大のルーツ

小柳:ここまででTTNEさんの存在について分かって頂けたかなと思うんですが、ここからはパーソナルに突っ込んでいきます。(幼少期の写真を見ながら)早速この写真、すごく可愛いですね。

松尾:かわいいなぁ、なんか抱きしめたくなるなぁ(笑)。

小柳:実家が呉服屋さんだったようですが、どんなご家族だったんですか。

松尾:五人家族で、いろんなところで呉服の展示会があるから、親父はよく出張に行っていてあまり家にいなかったですね。

小柳:にしても、この写真はかなり怖いですね。15歳ぐらい?もう見た目かなりヤバいじゃないですか(笑)。

松尾:当時の不良少年は漫画の影響でヤンキーにあこがれていたんですよ。今で言うEXILEに憧れているのと一緒で。

小柳:みんなEXILEみたいですもんね(笑)。この時はどんな感じだったんですか?見たままですか?

松尾:やんちゃ坊主でしたね。悪くはないんですけど、興味あるものにガッといく性格というか。中学高校と卒業してからは土木作業員をやっていました。杭打ち屋さんって分かります?マンションを建てる前に下に穴を掘って50〜60トンある杭を打つ工事の仕事なんですけど。

小柳:それをずっとやっていて、夜のお仕事にいかれたんですよね。

松尾:そうです。22歳ぐらいで独立をしました。一回東京に出て半年ぐらい見ている中で「自分でやった方がいいんじゃないか」みたいな感じになって。そして帰ってきて独立したんです。

ただ22歳だからお金はなくて。お金がなくて開業したくても出来ないんですよね。だからお金があるフリをして、ビルのオーナーに「ここを貸してくれ」「3フロアぐらいでやりたいから立ち退きしてください」みたいなめちゃくちゃ調子に乗ったこと言って。その時に金策に走ったんですけど22歳のガキがお店つくりたいですっていったってお金を投資する人とかいないんですよ。

小柳:いませんね(笑)。

松尾:人生舐めてたんですよね。「こんなにお金を借りるって大変なんだな」と思って。で、その時にビルのオーナーに「収支はこういう感じになるから、合うはずだ」「このビルでやりたいからどうにかお金を出してくれませんか?」って22歳のガキだった僕が言うと「君すごいお金持ってるオーナーいるっていったじゃん?」みたいに言われて。「いや、言ってたんですけどやっぱりやりたくないみたいなこと言われちゃって〜」みたいなハッタリをかまし続けて(笑)。そのオーナーが「選挙に出馬するからお金が必要だ。利益結構くれるなら1500万出資するよ」と、お金を出してもらって最初に作ったお店が結構当たって。22歳から27歳ぐらいまでに6店舗ぐらい増やしました。

小柳:6店舗も?

松尾:でもあの頃って20何年前でしょう?だから地域の暴力や恐喝が得意なおじさん達がよく来るんですよ。「オーナーは誰だ?誰に許可とってやってんだ」みたいなこと言われても、当時の僕は22歳ぐらいだから「なんか上海とかに遊びに行ってるらしい。僕も会ったことないんです」みたいなよく分からないことを言って(笑)。そのおじさん達も「じゃあ今度オーナーに会ったら言っておけよ」とか言って出て行くんですけど「しめしめ」みたいな感じでやってましたね。

小柳:まぁまぁきついですよね。

松尾:いや〜おっかないですよ。あの人達。暴力や恐喝が得意だから(笑)。

小柳:それをずっとやろうとは思わなかったんですね。

松尾:それは思わなくて。子供が出来たということもあって、ずっとやるのはきついなぁ、しんどいなぁと思っていました。従業員とか連絡つかなくなると、大体、(留置所にいる)パクられてる。みたいなこともあったんです。やっぱり飲み屋の世界って、昔はそういう闇の部分があって。そして27歳の時に当時いた人たちに「もう俺辞めるわ」って渡して辞めた感じですね。

小柳:ここから人生が動いていくんですよね。

松尾:藤原洋さん(以下ヒロシさん)ってご存知ですか?いろんなカルチャーを作っている人なんですけど。

僕、すごく「人」が好きなんですよ、昔からずっと車とかより人の方に興味があって。ミーハーなのかもしれないけど、本当に人がすごく好きで、この人何やってんだろうって考えるのが好きなんです。

ヒロシさんって、すごくかっこいいんですよ。今の日本や世界のカルチャーを作っている人で憧れすぎちゃって。「この人に会うにはどうしたらいいか」って考えていた時に「どの系統で行ったらこの人に辿り着くかな」とか考えるのが結構好きで。

誰かに紹介してもらっても結局「あーなんかあの時紹介してもらったよね」みたいな感じになるだろうし、「君、何やってんの」って聞かれても別に土建業から飲み屋をちょっとやったぐらいで、箸にも棒にもかからないじゃないですか。いろんな人が「ヒロシさんを紹介してあげるよ」って言ってくれたんですけど紹介されても何もない自分が嫌で。2〜3年間ぐらいずっと考えてヒロシさんに会うためにやったことが一つあるんです。

昔ヒロシさんの「Personal Effects」っていう本の中に「どこかのメーカーさんがブレナム・ジンジャーエールを輸入してくれないかな」って書いてあったんですよ。エリック・クラプトンがプライベートジェット機に置いていてすごく美味しいと。だから「これを俺が輸入したら会えるじゃん」と思って(笑)。

(ブレナム・ジンジャーエール)

で、そのままサウスカロライナの本社に飛んで交渉をして、ジンジャーエールの版権を持ってきて。で帰ってきて、輸入してホームページを作ったりして。その当時はInstagramやFacebookがないからtwitterで「拝啓 藤原ヒロシ様 どこかのメーカーが輸入してくれないかなって書いてあったので、僕が輸入してきました。ぜひ6本でも12本でも飲んでほしいので送りたいんですけど」って書いてホームページのアドレスを入れて送ったら、次の次の日ぐらいに「パソコンのメールにウイルスが入ったんじゃないか」っていうぐらいに注文が殺到しているんですよ。その時はヒロシさんからまだ返事はなくて。

そしたら当時「HONEYEE.COM」っていうサイトで「どっかのメーカーがあのブレナムジンジャエールを輸入してくれた」って書いてURLをポンって貼った瞬間に、コンテナ三本分が全部その日に売れましたね。

小柳:それはジンジャーエールの本社もビビりますね。

松尾:びっくりですよね。僕も覚えているんですけど、確か朝方ぐらいだったんですよね。最初はポン、ポン、ポンってメールが届いていたんですよ。それが「ポポポポポポポン….!」って急に鳴り出して(笑)

メールを見たらウイルスみたいな状態ですよ。「これは嫌がらせというか、イタズラみたいことされたな」って。朝方社員間で「ヤバいです」「うちのサイトがウイルスか何かにやられました」みたいな雰囲気で「どうすんだよこれ、日本に持ってきたばっかりなのに」とか話していて。でも注文のメールには全部ちゃんと住所が入っていて。「あれ、これ誰かが何かしたな」って。そしたらヒロシさんがサイトに情報を乗っけてたっていう。

小柳:それだけでこんなに売れたんですね!

松尾:そこから4〜6ヶ月待ちぐらいになっちゃったんですよね。

小柳:「ブレナム・ジンジャーエール」って僕も知らなかったので画像検索をしましたけどかっこいいですね。

松尾:かっこいいですよね!飲んだら口がヒリヒリする感じが、他のジンジャーエールとは違うんですよね。

小柳:それをきっかけにヒロシさんと仲良くなったんですか?

松尾:そうです。ヒロシさんがその後に「もし良かったら会いましょうよ」って言ってくれて。今でも覚えているんですけど、六本木でお茶をしながら「ジンジャーエールを(日本に)入れてくれてありがとうね」みたいに言われて。いい話ですよね…!でも僕はその時すごく汗をかいていて、ヒロシさんのアシスタントさんから「大丈夫ですか、体調悪いんですか」って言われていました。当時からやっぱり汗をかくのが得意だったんですよね(笑)。

小柳:さすがですね(笑)ここまで一回も「サウナ」が出てこなかったですけど、サウナには何歳ぐらいから入っていたんですか?

松尾:子供の頃に親父に連れて行ってもらったり、お友達と銭湯行ったりって文化があるじゃないですか。で、みんな苦手だけどサウナから水風呂に入って、喉元を過ぎる息が冷たくなる感じがすごく好きだったんですよね。

小柳:昔からそうだったんですね。「ハーッ」ってなりますもんね。

松尾:そうなんです。だから「水風呂入った方が良いよ」みたいなことをいろんな人に言っている子どもでした(笑)。水風呂とサウナの感じがすごく好きだったんですよね。

小柳:まさか仕事にするとは思うはずもないですけど、その頃から使命があったんでしょうね。

松尾:そうですね!何かあったんですかね(笑)。

 

 

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>>>その3はこちら

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