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SAPIENS TALK Vol.8 田中 知之(FPM)(3/6)「命がけの日々」

命がけの日々

 

小柳:ここから「ものすごい勢いでいろんなことが起こっていった」と仰っていましたが、具体的にどんなことが起こったんですか。

田中:僕じつは「マドンナ」のレーベルからデビューしたんですよ。

小柳:えぇ!すごいですね!

田中:それこそハリウッドでいろんな映画に音楽を当てはめていくような、僕が最も「日本で出来たらな」と思う仕事をしている「ジェイソン・ベントレー」っていう奴と「マドンナ」が「マーベリック」ってレーベルを作ったんです。「オースティン・パワーズ:デラックス」っていう映画に僕の楽曲が使用されたんですけど、このサウンドトラックが「マドンナ」のレーベルから出たので、当時のスポーツ紙では「日本のDJ、マドンナと共演」とか書かれたりしましたね。会ったこともないから、共演はしていないんですけど。

僕はロサンゼルスでも何度も自分のDJをやったり、アルバムのアメリカ盤が出た時にリリースパーティーを結構いい場所でやっていただいたりしました。それこそロサンゼルスの空港の滑走路の横にある火星人みたいな形の建物で有名なレストラン「エンカウンター」を貸し切って、夜中にパーティーをやらせてもらったこともあって。来るかどうかは分からないんですけど、ゲストリストには「マドンナ」「デヴィッド・バーン」とか書いてあって、一応ちゃんと案内をしてくださってるようでした。

小柳:びっくりですね!楽曲提供をされている映画の中には「セックス・アンド・ザ・シティ」もありましたよね。

田中:次々と「曲を使わせてくれ」っていうオファーがくるんですけど、大体契約書とか読まずにサインして「いいよ、使ってくれ」って話をしていたんですよね。ある時「セックス・アンド・ザ・シティ」って作品の契約書がきたんですけど「絶対これポルノ映画だな」と思いながらサインしていました(笑)。その数年後に「セックス・アンド・ザ・シティ」がすごく流行って、「こんな斬新なタイトルのドラマがニューヨークで作られて、日本でも流行っているんだな」と思っていたら、DVD化される時にもう1回契約書がきたんですよ。

そこで自分が楽曲提供していたことを知った感じですね。1番最初のシーズンの作品に2曲か3曲流れているんです。

小柳:めちゃくちゃすごくないですか!

田中:でもそれ、狙っていませんからね。狙っていたらビジネスで皆さんのお仕事のお役に立てるようなきっかけを、お教え出来るかもしれないんですけど。僕は本当にいろんなことが「起こっているだけ」で巻き込まれているだけなんですよね。

小柳:だんだん人生がドライブしていく過程を体験されているじゃないですか。その時の感覚って何か覚えていたりしますか。

田中:その渦中にいる時は目の前のスケジュールや仕事をクリアするのに必死で。大してイケてないんですよね。

小柳:またまた!そんなことないでしょう。

田中:いいところを掻い摘んだらイケてるように見えていますけど。大して稼いでもいないし、CDも売れていないし。ただ今と違って2000年代初頭は、アンダーグラウンドな音楽が世に出ていって、それが面白い効果を生む最後の時代だったと思うんですね。今は音楽がビジネスになるのがすごく難しいですよね。過渡期にありがちなことなんですけど、当時のことが今のビジネスに全く紐付けできないぐらいおかしな瞬間だったんです。

小柳:なるほど。

田中:レコード会社もバジェットがいっぱいあるから、例えば浜崎あゆみさんのCDが売れるから「リミックスアルバムを作ろう」となって、我々DJのところにリミックスの仕事の依頼がきていました。多分100曲以上、いろんなリミックスをやらせてもらいましたね。そこそこのバジェットを頂くこともあったんですけど、そういうバブルなことをやっている時も「自分がイケてる」なんて露ほども思わないですよ。

「明日は何の作業をやって、いついつの締め切りがあるから、そこまでに全てをこなして…」っていう綱渡りのような日々でした。〆切までに完成しなかったら、いろんなものを取りこぼしちゃうので。

「この日までに行かなきゃいけない海外への飛行機をいつまでに取らなきゃいけない」「ロシアのビザを取らなきゃいけないけど、時間がないからアメリカ滞在中に取ろう」「でもこのスケジュールでいったらビザの発給に間に合わない。調べたらお金をたくさん払えば即日でビザを発給してくれる方法がある~」みたいなことを毎日やっていると自分のことを俯瞰で見れることなんかなかったです。

デビューアルバムをリリースした1997年から20年間ぐらいは毎日、明日の仕事をクリアするだけで精一杯でした。やっと自分のことを振り返ることができたのはコロナの時ですね。年間120~130本とか、あれだけ毎日いろんなオファーをこなしていたDJの仕事がほぼなくなってしまったんです。

小柳:恐ろしいですね。

田中:だから、そういう「事業がシュリンクして困った話」だったらいくらでもできるんですけど(笑)。
でも一本一本は命がけでやってきたように思います。自分が営業しなくても次々仕事が来ると、仕事をなめてしまいがちなんですけど「これはこの辺でいいだろう」とは思わなかったですね。ここで適当なDJ、適当なリミックスの仕事をやると絶対に次は来ないだろうなと思ったので。時間は限られてたけど本当に一生懸命やりました。その時は信じるしかないんですけど、そしたら本当にオカルト的なことが起こるんです。困った時に助けてくれる人がいるんですよね。

例えば楽曲に合うサンプリングを見つけるのって、複雑なコードを持つ曲だと何百枚、何千枚のレコードを聴いても見つからない時は見つからないんです。僕は2万枚ぐらいレコードを持ってるんですが、困った時はその中からなんとなく一枚レコードを引っ張り出して、ターンテーブルに乗っけて針を適当にポンと置くんですけど、その時に出たフレーズが大体今準備すべき楽曲のためのサンプリングにピッタリ合うということがあったりするんですよね。

小柳:うわぁ〜。ちょっとゾクゾクしますね。

田中:これがまたポイントなんですけど、それは100%じゃないんですよね。100%だったら舐めてしまうと思うんですけど。

小柳:それは一生懸命、命がけでやっていたご褒美みたいな感じですかね。

田中:多分集中力であるとか、作品に対する気持ちが、そんな奇跡みたいなことを起こしてるんじゃないかと思うんですよね。僕はそれに助けられてきたからこそ、作品が期日通りに納品できる感じです。何の参考にもならない話ですけど。

小柳:全てにおいて命がけでやってこられたというのは素晴らしいですよね!

田中:僕はちゃんとした音楽教育を受けていないし、ベースしか弾けなくて譜面も「ヘ音記号」しか読めなくて。優れた音楽プロデューサーってピアノが弾けて譜面もかけてアレンジも出来たり、いろんなことが出来るんですけど、僕はそれが最初から出来なかったからそうじゃないところで何かできたらいいなと。それがサンプリングなんですけど、僕はそれによって音楽家の道を授かったと思っています。

田中:先ほども話しましたけど命がけでやっていると助けてくれる得体の知れない誰かが居るんですよね。僕の場合は、実家の向かいのお寺の境内を前の持ち主を探して夜な夜な歩いたと言い伝えられるお人形の「万勢伊(ばんせい)さま」かもしれないですけど(笑)。

小柳:「命がけでやると助けてくれる誰かがいる」不思議だけど素敵ですね!心に留めておきたいと思います。

>>その4「リミックスバブルとオカルト作曲法」へつづく。

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