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SAPIENS TALK vol.01 松本日出彦(後編)

 

SAPIENS TALK Vol.01
ゲスト:松本日出彦(日々醸造株式会社 代表取締役/杜氏)
モデレーター:小柳俊郎(株式会社クロマニヨン 代表取締役/CEO)
協力:ONE STORY

SAPIENS TALK vol.01 松本日出彦(前編)はこちら

武者修業と日々醸造の創業

小柳:考えないようにする生活から、どうやって復活していったんですか。退任翌月の1月ぐらいから行動していくんですよね。何が救ってくれたんですか?

松本:たくさんあるんですけど同業の蔵元さんが声を掛けてくれたのが大きかったですね。「うちで作りなよ」とか「もったいないから、単発でもいいから何かやりなさい」って言ってくれる方もいたし。自分のことを見てくれていたんだなぁと思いましたね。

小柳:でも同業というけど競合でもあるじゃないですか。それなのにこの後「武者修業」と題して単身でいろんな蔵に乗り込んで、お酒を造っていくんですよね。

その蔵が五つあって、滋賀の「冨田酒造」さん、熊本の「花の香酒造」さん、福岡の「白糸酒造」さん、栃木の「仙禽(せんきん)」さん、秋田の「新政酒造」さんなんですけど、これはどういう経緯で決まったんですか?

松本:「花の香酒造」の神田さんがずっと「話があるから会いましょう」と連絡をくださっていたんです。なかなかすぐにそういう気持ちになれなかったんですけど「人の親切は無下にしてはいけないな」と思って。1月に京都駅でお会いした時に「こういう蔵元さんが協力してくれる話になっているから、もったいないからやりませんか。それぞれで一本ずつでもいいから造って、酒造りの現場から離れない方がいいですよ」ということを言ってくださって。

その話をする前にわざわざ秋田の新政さんのところに飛んで「ちょっと助けたいと思ってるんだけど、どうだろうか」って皆さんに話をつけてくれてたんです。白糸酒造の田中君は元々東京農業大学の同じ研究室にいた関係もあり、とにかく助けるから何でも言ってくれみたいなことを言ってくれて。

でもそんな話を頂いたんですけど2〜3週間は悩みました。僕は業界の中で、自分なりに考えて自分が必要なんじゃないかと思うことをやろうとしてたので、皆さんと同じような感じではなかった訳ですよ。態度も横柄だし、後輩なのに態度が大きいし(笑)お世話になったことで迷惑をかけちゃまずいんじゃないかなと思っていたんですけど、田中君が「気にせずやれや。何でもいいから一緒にやりたい」ということで「じゃあちょっと甘えようかな」と。

小柳:お酒造りって、理論的には同じかもしれないけどやり方って全部違うんですよね。

松本:もちろん違いますね。水も米も使っている設備も違うので。ただ全て違うその中でピンポイントで私の美味しいと思うお酒を造らせてもらう中で、たくさん学ばせていただきましたね。すごく勉強になって。

小柳:「参考」じゃなくて「勉強になる」っていう表現になるんですね。

松本:「参考」っていう言葉は僕の認識としては「自分が十持っていて、その十の中の一部にさせてもらう」っていうニュアンスなんですけど、全然違うところでやったことなので僕が知ってる十じゃない話のものを一から積み上げて造らせてもらったから、ただただ「学び」ですね。

小柳:そして2021年12月1日に「京都の地で、新たに日々醸造という名の日本酒を創業します」と報告がありましたね。感動しましたよ。前回「松本酒造を去ることになりました」という報告が2020年12月1日で、ちょうど一年後だったので。憎い演出じゃないですか。

松本:近しい方には年末には報告できる状況にあったんですけど、きりもいいところでちょうど一年で発表したほうが良いかなと。

小柳:その報告の中ではっきり書いてあった「自分が世の中に表現できるのは、京都で日本酒を作ることしかない」ということにも感動しました。この時どんな気持ちでいらっしゃったんですか。

松本:(退任して)年末に何もない状態になって。酒造免許もないし、蔵もないし。でも逆を言えば何をしてもいいかなと思って。一般の方より酒造りのことは知識があるし、ワインだったり飲食の事も若干勉強していたので、お酒を伝える仕事をやってもいいんじゃないかとか。小売業(お酒を売る仕事)として作り手の気持ちも違った視点で解釈できるとしたら、そういった仕事もできるんじゃないかと。

ただ、それって僕じゃなくてもいいんじゃないかなっていうところに行き着いたんです。やはり、自分は日本酒を造らなくてはいけないんだと思いました。

そういうことを考えながら全国各地で武者修業をさせていただく中でいろんな場所の良い所をリアルタイムで学ばせてもらい、それぞれいいなって思ったんですが、やっぱり自分がずっと関わってきた兵庫の田んぼの農家さんたちの米だったり、生まれ育った京都の水で作る味ってまだまだ道半ばだったので、もう一度ぐっと踏み込んで今までできなかったレベルでやっていく方が、必要として貰えるんじゃないかなって考えるようになりました。そして酒蔵をやるなら京都だなと決めたんです。

小柳:さあ、いよいよ復活の酒造りへと進んでいくということになるのですが、酒造りには、免許が必要ですよね。そしてお酒は一人じゃ作れないから仲間が必要です。あと蔵の建設やタンクなどの購入には、莫大なお金がかかる。数々の課題を、どう乗り越えてきたのか聞かせてください。

松本:まず酒造免許ですが、私が取得したのは2021年5月31日なんです。酒造りは国税局の管轄なので、酒造りを許された法人でしか酒造りができないんですよね。国内の需要が下がっているから国内で新規の酒造免許を取る方法も無かった。だから、免許を持っている方から、譲ってもらうしかないんですよね。

だから、酒造免許は早々に探し始めたんですよ。コロナの影響が結構きつい時だったので案件としてはたくさんあったんですけど条件が難しくて。場所が遠かったり、重いものがたくさん付いていたり、ちょっと難しいよねってことが多かったですが、たまたま「これしかない」という条件のところが京都の地元にあって。他の話が進んでいたみたいなんですが、所有者の方が「地元の人で、ちゃんと造る人に渡したい」と思っていらっしゃった方で、結果、私を選んでいただきました。もうこれは「ご縁がある」というしかない幸運なことでした。

小柳:おぉ!そして「日々醸造」を京都市伏見区に造られたんですよね。次に、仲間はどうやって見つけたんですか。

松本:僕は、松本酒造を、令和2年の酒造期途中で去る形になってしまったので、一緒にやってきたスタッフが僕の代わりに、醪(もろみ)が腐らないようにやってくれたんです。「これで大丈夫ですかね」って毎日確認してくれて。その最中で武者修業を始めたので彼らは「なんか日出彦さん楽しそうですね、何で他所で酒造ってるんですか?」「これからどうするんですか?」と常に気にしてくれていて。

「自分でもう一回やるんですか?」と聞かれたので「できるか分からないけど、ちょっとやってみる」と答えたんです。そして5月に酒造免許が取れたと報告をしたら、前のシーズン終わりかけなんですけど、その段階で「じゃあ僕達行きます」と主要メンバーがみんな来てくれて。まだ蔵も何もないのにですよ(笑)!

建設に使う費用は法律が変わって、担保がなくても見込みのある案件には投資していいみたいな風潮になってきたんですね。僕がいるならということで、多額の融資が通ったんです。だから今、たくさん借金あります(笑)!

松本:最大の課題は「場所」でした。もう自転車や車を1ヶ月間、走り倒しました。そんな中いくつかいい場所だなって思うこともあったんですが、どうやら「市街化調整区域」ってものがあるらしいと(今さら!)。その程度の知識で酒蔵の場所が見つかるのか!?と不安しかありませんでした。

同時期に、地元の金融機関紹介の不動産屋さんも走り回ってくれたんですけど、きっぱりと「ないです」という回答でした。「輸送業は今忙しいから、そこそこまとまった土地で、ちょっと古い建物があってすぐ使えそうなところは出たらすぐ決まります。だから申し訳ないけど、力になれない」と。八方塞がりかと落ち込みました。

すると、ある金融機関からの紹介で何も建っていない更地で10tトラックの搬入もできるところが、もしかしたらいけるかもしれないって話を見つけてきてくれたんです。どうしてもそこが欲しいと思っていたら、なんと僕がお世話になっている会計士の先生が、その土地のオーナーさんと旧知の仲ということもあり、全力でフォローくださって、7月にそこの場所を使わせてもらえることになったんです。本当に嬉しかったですよ。

その中で、スタッフたちは僕を待っててくれていたんですが、やっと酒蔵の場所は決まったけれど、まだ道具がないから揃えるまでちょっと待ってくれとスタッフに話をしていたんです。けど「いや、もう行きます!」ってみんな合流してくれたんです。僕は、絶対次の年の令和3年度の酒造年度から現場復帰する!と決めていたんですが、集まってくれたスタッフ達の顔を見てたら、ますます覚悟が固まりました。

この時点で、融資も場所も決まって、建築申請も通ったんですが、次はウッドショックとそれにまつわる鉄骨不足で資材がないって話になった。資材がなければ蔵が建ちません。ヤバイぞヤバイぞって焦りまくってたんですが、その時に現れた鉄骨屋さんが、物凄く僕のお酒が大好きな人だったんですよ。「日出彦さん任せてください、関西中集めるからとにかく待ってて。その代わりちょっと値段上がるけどいい?」って感じだったので「お任せします。3月までに作りたいからお願いします!」と。結果、何とか11月末までに資材を集めてくれたんです。

小柳:マジで、奇跡の連続ですね。

松本:そうですね。で、いざ酒蔵の建設になるんですが、そもそも酒蔵の設計って普通の工務店さんってやらないじゃないですか。だから全部僕がやらなきゃいけないと気づいたんですよ。排水はこんな感じで、断熱材はこれぐらい入れてください、材質はこんな感じにしてくださいって感じです。細かいところを請け負ってくれる工務店の一軒と、鉄骨と電気と水道とガス屋さんとか、全部僕が一つ一つ個別に請け負ってタイムスケジュールを組んで、いつまでにこれが出来たら次の工期入れるんでみたいに現場監督みたいなことをずっとやっていました。夢中で12月の棟上げを迎えることができたんです。

小柳:その間にまた武者修業に、今度はみんなで行かれたんですよね?

松本:そうですね。僕のところにきてくれた男のメンバー四人を連れて。最初は1月から酒造りスタートできる段取りで組もうと思っていたんですけどそれが二ヶ月遅れて3月スタートにずれた分、お米もあるし人もいるからもう一度甘えて使わせてもらいたいなと。

 

不可能を可能に。日本酒「日日」をリリース。

小柳:そして5月14日、ついに「日日(にちにち)」発送開始と。これはオリジナルの自分の蔵から出てきたお酒ですけど、どうでしたか。

松本:3月26日に初めて米を洗って酒造りが始まったら、細かいところを調整するのに必死じゃないですか。だから感動してる場合じゃないんですけど、ちゃんとお客さんに届けられるっていう実感が初めて生まれた時でしたね。この時も必死でしたけど。

小柳:私もちょうど発送前日にお邪魔させてもらいましたけど、一番びっくりしたのは松本さんが社長自ら全てのラベルシールを貼っていたことです。

松本:僕は、ラベル貼るの早いんですよ(笑)。

小柳:けど、(ラベルが)一枚足りない!と大騒ぎになったり、すごいアットホームな雰囲気で、本当に手造りなんだって思いました。で、ここまでを振り返ってですけど酒蔵を立ち上げて、不可能を可能にできた理由って何が要因だったと思いますか。

松本:「絶対やる」って思ってやったことじゃないですかね。途中で折れませんでした。何回も「無理」って言われましたよ。「物件が無い」「免許が取れない」「鉄がない」「建築の許可が下りない」とか。いろんな「無い」があったんですけど、このシーズン中に必ずカムバックしなきゃいけなかった。カムバックするって決めてたんです。それは自分事っていうよりも、スタッフが入ってきて待ったなし状態っていうのもあるんですけど。

あともう一つ根っこにあるところで、田んぼは毎年作付けするので、収穫した米が絶対出てくるわけですね。僕は令和2年度の冬に現場を離れて、令和3年度の3月に復帰したので、ワンシーズンも空けていないんですよ。だから僕が関わってきた田んぼの米はひと粒も残さず使っているんです。そこは責任を果たせたなと、まだこれからですけど。

それを「やらなきゃいけない」っていうのと、「やるにはどうするか」という考えで毎日やっていました。「できないことがない」と言うのは、言葉だと簡単に聞こえるんですけど。できないことを「できるようにしなきゃいけない」強い理由があった。ただやりたいからとか、そういうことじゃなくて「絶対やらなきゃいけない」っていうところに、多くの方々を巻き込んでやっていったんです。

小柳:やらなきゃいけない理由がある、それでいろんなものが引き寄せられるっていうのは「運」って言ったらそれだけかもしれないですけど、思いと向き合いの強さのような気がします。

松本:流れは絶対作ってましたね。引き寄せなきゃいけないし、うまくいかせなきゃいけない。

小柳:そこの強さでしょうね。

松本:昔も今も、たまに同業の方から相談受けたりするんですけど、人に相談する時に自分の中で腹が決まっていなかったら前に進まないんですよ。普通はどうしたらいいか分からないから人に相談するじゃないですか。だけど、その状態だと前に行かないんですよね。「自分の中で絶対こうしなきゃいけない」っていう何かがないと人の話を聞いても何も変わらないと思うんです。

セミナーや映像で人の話を聞いて自分なりに解釈をして「そういう考え方もあるんだ」ってことも当然あるし、すごくいいことだと思うんですけど。一歩踏み込んで、喋っている方とさしで「こう思うんです」って話をしようとしたとき、抉(えぐ)られるように、自分にないものが露呈するじゃないですか。だから向き合って話をする時は「絶対こうするんだ、だけどここが分からない」とか「こうやってるけど、ここがうまくいかない」みたいな状態じゃないと具体的なアドバイスのしようもないんじゃないかなと思います。

小柳:なんとなく「話聞いてくださいよ」みたいな相談って案外多い気がしますね。

松本:そこのテンションでこちらが答えられる熱量も変わりますよね。相談する方の、腹の座り具合は、非常に大切だと思うんです。答える方の熱量も絶対に変わってきますしね。

日本酒に込めた想い

小柳:最後のテーマです。ちょっと大きな質問なんですけど、松本日出彦が考える「日本においての日本酒」って何ですか。

松本:やっぱり「日本の米の価値を伝える責任があるもの」でしょうね。日本で作られる米って、日本じゃなきゃ絶対育たないんですよ。世界的にいうとインドネシアが一番米の研究が進んでいるんですけど、日本みたいに非効率でコストがかかって、こんなに美味しいお米を作ってる国はないんですよ。

だけどその価値って、一部知ってる中国の方や美味しいご飯を作る料理人の方とか、日頃意識をして触れている人には伝わっていると思うんですけど。我々一般の生活をしている限りでは、例えば飲食店さんで食べるお米とかも普通に美味しいじゃないですか。だから当たり前なんですよね。でも当たり前が当たり前じゃないっていうか。こんな水に恵まれた国で、雨期みたいなものもあるけど冬も夏もあって、季節の変化の中で育つ米の美しい味わいっていうのは日本のこの希少環境しかできないんですよ。

小柳:日本酒はその価値を伝える真骨頂的なイメージですか。

松本:その一つかな。炊き立ての米って美味しいじゃないですか。でも炊きたての美味しい状態って、ほんの数分でしょう。あの瞬間を食べるためには、それに至るまで洗って水をつけて炊いて火を止めて蒸らして、という工程があるじゃないですか。だけどお酒の場合はポンって開ければ飲めますから。

ただ瓶の中には壮大な仕事が詰まってますから。物の価値って結局買ってくれる消費者が決めるものだなってつくづく思うんですけど、手間暇かけて造ったお米を、わざわざ削って洗って丁寧に仕事して作ってとなった時に、ものすごく手間がかかったとしても、美味しくなければ価値がない。美味しいんだけど、それが伝わっていなかったら意味がない。だから結局そこを丁寧に揃えていかないと日本酒にならないんですよ。

小柳:美味しくするのは米たちに対する責任ですね。

松本:そうですね。全部の田んぼは無理なんですけど、せめて自分たちが関わる田んぼだけは守りたいなぁって。

小柳:次の質問ですけど、「松本日出彦としての日本酒造りの想い」を聞かせてもらえますか。なぜ酒を造っているのか?という部分も含め。

松本:そうですね。「自分が京都で作ることが一番世の中に貢献できることじゃないか」っていうこともあるんですけど。別にお酒って飲まなくても生きていけるものなんですけど、飲めたほうが楽しい時間もあるし、豊かさに繋がるんじゃないかと思うんです。その楽しさとか豊かさとか、美味しさとか感動とか、受け取ってくださる方が感じるものであって、僕たちが与えるものじゃないんですよ。

ただ、僕たちは圧倒的に情熱を持って物作りをして、僕たちが関わっている田んぼに対してちゃんと責任を果たしてお米の価値を伝えて、そのお米からくる美味しさをちゃんと美しく表現して、丁寧にお届けした時に初めて「美味しい」「また飲みたいな」「日本酒っていいな」って思ってもらえるかどうかを答え合わせしていってるような感じなのです。だから日本酒造りは「問いかけ」みたいなとこもあります。

日本人が日本で暮らしていて自分たちの先祖もずっと日本で暮らしてるわけでしょう。この希少環境のなかで生きてきた人間が、日本酒を飲んで美味しいって思えることって何かカッコイイと思うんですよね。だからその価値観だったり、お客さんのゆとりみたいな豊かさの一つで、時間やお金じゃない、何かプラスアルファになれればいいんじゃないかなと。それを作るにはちゃんと米がたくさんあって、味わいを責任を持って造るっていうのが僕なりの酒造りになります。

小柳:ちなみにどんな方に「日々醸造」のお酒を飲んで欲しいですか?

松本:これね〜、僕のインスタのフォロワー「男」ばっかしなんですよ(笑)!できればもっと女性に飲んで頂きたいな〜って(笑)。けど一番は、自分らしく生きている人に飲んでもらいたいです。そんな方が、自分の生き方で必死になっている瞬間にシンクロして「これいいな」って思ってもらえたら嬉しい。

小柳:いいですよね。どんなに一日むかつくことがあっても飲んだ瞬間に「もういいか」って感じさせてくれるお酒って、凄いなって思いますもんね。では最後の質問ですけど、お酒造りを通して、松本さんは羨ましいぐらい人の心をつかんでいたり、人を巻き込んでいます。率直に、人の心を掴むものってなんでしょうか?

松本:やっぱり「生き方」かなと。2年前の12月に、辞任を報告した時に、存じ上げない方からもたくさんメッセージを頂いたんですけど、理不尽な悔しい思いをされている方がたくさんいらっしゃって。だからと言って慰めてもらうとか決してそういうことじゃなくて。皆さん共通してネガティブなことでなく、「絶対強く生きてくださいね、前に進んでくださいね」みたいな言葉が強かったんですよね。

松本:それが「自分らしく生きてる方に飲んでいただきたい」という自分の思いにも繋がるんですけど、自分の生き方を全うしたときに、近くで見てくれている人はフォローしてくれるのかなと。

逆に僕も頑張っていらっしゃる方の物は取り入れたり食べたり、行きたいなと思います。見た目がかっこいいとか、機能的に良いとかだけじゃなくて、誰がやっててその中身が何なのか、それを取り入れている自分はどうなんだって俯瞰してみた時に「なんかいいよね」って思えることが、そうなのかなと。

小柳:自分の考えや生き方をちゃんと持っている人に惹かれるのは分かりますね。

松本:あと迷わずやっている姿にもぐっときますよね。他の業界のことって分からないですし、もしかして明後日の方向向いて走ってるかもしれないけど、でもそれを信じて必死にやろうとしてるってなんかいいなと思うし。

小柳:自分の考える生き方があるっていいですよね、それはすごく感じます。たくさんお聞きできて楽しい時間でした。今日は本当にありがとうございました。

松本:ありがとうございました!

 

トークを終えて・・・

約90分間のトークは、まるで一本のドラマか映画を見ているような感覚だった。苦労して一時は成功を掴むものの、どん底まで落ちてしまう。しかし、そこから仲間たちの力を借りて、不屈の闘志で這い上がり、再び新しいスタートラインに立った・・というまさに、絵に書いたような物語だけど、ドラマや映画と違うのは、その瞬間瞬間をリアルに体現してきた人間の迫力と優しさと、ブレない言葉がそこにあるということ。

人の心を掴むのは「生き方」を示すことと松本氏は即答した。自らの使命を、どのように果たしていこうとするのか?を、ブレることなく示し続けられるものが、強力なブランドになっていく。皆さんは、どのように感じられただろうか。松本氏がこれから何をやろうとしているのか?やっていくのかが楽しみで仕方がない。

 

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