SAPIENS TALK Vol.05 中村貞裕(2/4)
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◆「取りに行く」姿勢で話題の店を続々オープン
小柳:そして「Sign」シリーズが出来た訳ですけど、「THE THEATRE TABLE / THE THEATRE COFFEE」もすごく話題になりましたよね。
中村:はい。これは「渋谷ヒカリエ」という商業施設の中に入っているお店で。例えば代官山の「Sign」って元々「Starbucks Coffee」を予定していた場所にオープンしたんですけど、それも当時会社の中でも一匹狼みたいな若手の人が僕を見つけてくれて「面白いことをやろう」と一緒にプレゼンさせてもらったことがきっかけだったんです。その方が偉くなっていったので、ヒカリエが出来た時にも話を頂きました。
「THE THEATRE TABLE 」
小柳:そんなきっかけで出来たお店だったんですね。
中村:ただ、今だと一番いい場所で話がくるんですけど当時はまだまだだったので、誰もやらないようなオフィスのロビー階かつ内装費も全額負担という場所での提案だったんですよ。商業施設のフードフロアは大手が入るから声が掛かることはなくて、当時僕らは「面白いことをやってくれそうですよね」と難題を与えられるような会社だったんです。そんな場所だったんですけど、上がミュージカル劇場だったので「THE THEATRE TABLE 」というレストランと、コーヒースタンドの「 THE THEATRE COFFEE」、観劇の合間に楽しめる「THE THEATRE BAR」をセットでやらせてもらいました。
小柳:セットでやったのが新鮮だったんですかね。
中村:どうでしょう。ただ、蓋を開けたら下の商業フロアより売上は良かったと思います。テラス席があったというのも良かったんじゃないでしょうか。
小柳:以前僕が東京に行った時も、当時出来たばかりのお店に連れて行ってくれましたよね。
中村:伊勢丹の中のお店ですね!大手の会社だと辞めた人に対して冷たいと思うんですけど、僕はこういう性格なので伊勢丹を辞めた後も先輩たちと仲良くさせてもらっていたんです。当時可愛がってもらっていた大西社長が「辞めたら終わりじゃなくて、外で活躍している優秀なOB・OGの人たちとは縁を切ることなくファミリーとしてやっていこう」という方針だったこともあり、声を掛けてもらいました。「メンズ館とレディース館を繋ぐお店をやって欲しい」というオーダーだったので「LADIES & GENTLEMEN」というビストロカフェを作らせてもらったんです。ここは30坪ぐらいなんですけど僕が思い切り交渉をして、床と天井を張り替えさせてもらいました。
小柳:すごくおしゃれですもんね。
中村:自由にやらせてもらったお陰で、今でも混んでいますね。ここは「オー・ギャマン・ド・トキオ」で知られるフレンチビストロの第一人者である木下威征さんとやらせてもらっているんですが、いわゆる「藤巻組」で作った感じですね。藤巻さんのことが好きだった大西社長、木下さんといった先輩のご縁があって出来たお店です。
小柳:他には七里ヶ浜のお店もプロデュースされていますよね。
中村:「Pacific DRIVE-IN」ですね。ここはもともとファーストキッチンだったんです。このすぐそばにある複合施設「WEEKEND HOUSE ALLEY」のプロデュースをやらせてもらって、そこに「bills」をいれたんですけど、その斜め前の巨大な駐車場の中にあったファーストキッチンの場所で「何かやりたいな」とずっと思っていたんです。
小柳:ずっと考えていらっしゃったんですね!
中村:この時も「なんでこんな場所取れたんですか」って皆さんから言われたり、僕らはスカイツリーの上でもお店をやっているので「中村さん、何かとんでもないルートがあるんですか」とか言われたりするんですけど。この時は単にプリンスホテルの担当者と仕事をしていて「あの場所どうにかならないですかね」という一言からスタートしただけなんですよね。「ファーストキッチンっていつ契約切れるんですか」と尋ねたら1年後だったので、「じゃあ企画書を作るので、コンペさせてください」って言って。「bills」の小さい版のようなお店と、僕がハワイで味わったハワイアンプレートの「DRIVE-IN」みたいなお店の2つの案を出したら「DRIVE-INの方がオリジナルでいい」ということでコンペで勝ってこれに決まったというだけなんですよね。
小柳:言ってみるものですね!
中村:言ってみるものですよね(笑)。あとは諦めないで本当にどうすればいいか考えることですね。僕らは「やりたい」と思ったら物件を待つんじゃなくて、取りにいくので。ここって決めた時に担当者を探してあたったり、ビルのオーナーを見つけたりします。
小柳:なるほど。この「Pacific DRIVE-IN」から今度はベーカリーを作ったり、こないだ僕も買っちゃいましたけどゴルフブランドも立ち上げられていますよね。このブランドも売れているんですか。
中村:売れていますね!と言っても500万円ぐらいですけど。
小柳:月に500万円ですか?
中村:ビジネスというよりもこれはカフェグッズの延長なんですけど、500万円ぐらい売れると欲が出てくるのでもっと頑張ろうかなと思っています。
小柳:アーティストさんとコラボしながらというのが、中村さんらしいですよね!
あと、僕が好きな「Little Darling Coffee Roasters」というカフェも青山のど真ん中にあるんですが、どうしてこんな場所でオープン出来たんですか。
中村:元々宅配会社の巨大な駐車場と倉庫・荷下しの作業場だったんですけど、再開発エリアで「土地の価値を上げたいからどうにかならないか」というお題を頂いたんです。そこで僕らは公園とイベントスペースとシェアオフィスを提案して、プロデュースはうちが行い、管理は昨年「サイバーエージェント」に売却した「リアルゲイト」といううちの100%子会社が行う形でやっていました。カフェの店舗が増え、バリスタの優秀なスタッフが増えたことで「自家焙煎のロースターが欲しい」というリクエストがずっとあったので、それに応える形で「セントラル焙煎所」を作ろうと思って。うちのカフェのコーヒーはほとんどをここで焙煎していて、プロデュースしたお店のコーヒーも必要であれば、うちから焙煎してオリジナルで出しています。足りなくなってきたので、今後は第2工場を作る予定です。
小柳:第2工場の予定まであるんですか、すごいですね。
で、僕の中で「東京だなぁ」と感じるレストランが、丸の内にある「THE UPPER(アッパー)」なんですけど。ここは周りが全部ビルに囲まれているんですよね。
中村:実はここのビルは三菱地所さんが持っているビルで、1Fがエントランス3階から7階までの5層メンバーシップ倶楽部になっているんですよ。カフェやレストラン、シェアオフィスやジムがあって、メンバーシップクラブのオペレーションの運営をうちが受託していて、そことセットでこのテナントの9・10階にうちの店舗があります。でもここの場合はオープンして大盛況だった2カ月後ぐらいにコロナになっちゃったので、ほぼ2年間閉めてたんです。人件費などを含めて毎月300万円くらいの赤字を2年間垂れ流して大変でした。でも閉めちゃった方が補助金が出るので、開けるよりは良かったんですよね。補助金が出ても数百万円の赤字だったんですけど、20年かけてそれに耐えうる会社にはなっていたのでなんとか大丈夫でした。少し前に2年半ぶりにグランドオープンしたんですけど、10階をカジュアルブラッスリーに変えて9階をレストランにしたらすごく好調で。今、2年分を取り戻しています。
小柳:ちなみに中村さんはハイブランドのカフェ運営もプロデュースされていますけど、どういった形でお仕事が決まったんですか。
中村:運営受託とプロデュースがセットなんですけど、実績が大きいかもしれないですね。僕は伊勢丹の看板と人脈を使いまくったんですけど(笑)。まず一番初めにやったのがアパレルのラグジュアリーブランドのカフェでした。僕が伊勢丹を辞めて飲食を始めた直後がバブルだったんですよ。不動産も上がるし、ITバブルだし、それまで百貨店の中に入っていたハイブランドが、表参道や銀座にビルを建てるようになったのも、当時(今から20年前ぐらい)で。
小柳:その頃だったんですね。
中村:その時に伊勢丹の部長達がヘッドハンティングされて名だたるラグジュアリーブランドの社長や役員になっていったんです。初めてやったラグジュアリーブランドの社長もそうなんですけど、銀座にビルを建てる時に「日本発信でカフェを作りたい」となって「お前喫茶店やってたよな?」という感じで呼び出されて(笑)。周りで飲食をやっている人がいなかったらしく、相談に乗っていくうちに「プロデュースをやってくれないか」ってお願いされました。どんなにカフェを頑張っても、そのブランドだとバック1個ぐらいの売上にしかならないんですよ。50万円の売り上げって、飲食、特にカフェだと大変じゃないですか。内側の部分はノウハウがあるところに任せた方がいいとなって、オペレーションもうちがやらせてもらうことになったんです。
小柳:そんな流れで決まったお話だったんですね。
中村:商業施設がどんどん出来ていくと、面積を取ったり、入り口の場所を取れたりするので、アパレルの人たちがカフェをつけるのが流行っていきました。うちは他にも3つくらいやらせてもらったんですけど、アパレルで飲食の運営受託をやっているのってうちと2社ぐらいしかないし、それやったことで鍛えられていたり、信頼されたんですよね。運営受託ってそもそもすごく大変なんですよ。上手くいけば自社で飲食をやっている人が絶対に儲かるし、クライアントやお客さんに怒られたり、報告業務もあるのでそれに耐えられない会社もあるんじゃないかなと。うちも3つまでは大変だったんですけど、10個とかやっていくと数を打っていくうちにノウハウもできたし、ライバルがほぼいなくなっていて。
小柳:確かにこの辺のカフェ運営は全部トランジットさんがやっているイメージですもんね。
中村:企業とかブランドの運営受託はほぼうちがやっている感じです。あとうちはケータリングもやっているので、特にB2Bの繋がりがすごく強いアパレルなどは相談がきやすいというのもありますね。
小柳:面白いのが「たまちゃん」とか「二○加屋長介」を東京に持ってきたのもトランジットさんですよね。これって目利きはご自身でされるんですか。「たまちゃん」は大阪が本店ですけど、直接見に行かれたんでしょうか。
中村:僕が探したというよりも、大阪に行った時に案内された最後のお店が「たまちゃん」でした。オーナーさんが出てきて喋って盛り上がって、その時は「いいなぁこの店」ぐらいで終わったんです。その後、偶々良い物件が出てきた時に会いに行って「ここ、たまちゃんにぴったりだと思うけどどう?」って話したら「やる」ってなって。
小柳:「二○加屋長介」も同じような流れですか?
中村:福岡に来た時に小柳さんにも連れて行ってもらいましたけど、「〆にうどん」ってフレーズがとにかく気に入っちゃったんですよね。東京で聞いたことがないし、新しい食のライフスタイルとしてメディアウケするなって思ったんです。
◆飲食だけにとどまらないプロデュース業
小柳:他にも色々聞きたいことがあるんですが、特に気になっているのが上勝町のプロジェクトで、こちらについて聞かせて頂けますか。僕も調べてみたんですが、徳島県の上勝町って「ゴミゼロ」を目指している町なんですね。
中村:これはひょんなきっかけで町の人たちと出会って、10年以上前からスタートしているプロジェクトです。上勝町は「ゴミがゼロの町」で有名なんですが、ゴミ収集車がないんですよ。分類したゴミを自分で処理場に捨てに行って、生ゴミは自分の家で捨てるという世界的にも稀な町なんです。ゴミ捨て場がプレハブでボロボロだったんですが、取り組みは世界で注目されるほど凄いことなので、ちゃんとブランディングしようとなって。まずは廃材を使って中村拓志くんっていう建築家と一緒にクラフトビール工場を作ったんですけど、それがすごく当たったのでボロボロの製紙工場を改装して第2工場も作ったりして。ターナー賞という建築のアカデミー賞のような賞を取ったメンバーにロンドンに会いに行ってプロジェクトの話をしたら共感してくれたんですよね。この工場はインターンをしていたケンブリッジ大学の学生20人ぐらいを呼んでみんなで作りました。
小柳:そうやって徐々に実績を作り、最後に昨年作られたのが「上勝町ゼロ ・ ウェイストセンター (WHY ・ ワイ )」なんですね。
中村:はい。ここはWHYという疑問符を持って生産者と消費者が日々のごみから学び合い、ごみのない社会を目指すというコンセプトで、建物は真上からみるとクエスチョンマークの形になっています。ゴミ処理場をかっこよく作り直し、町民が使わない物を置いたり、勝手に持っていってもらえるリサイクルショップや、シェアオフィス・リモートオフィスもあるんですが、泊まった人が自分でゴミを分類して捨てる4部屋のホテルを作りました。
小柳:「ゼロ・ウェイストアクションホテル」という名前もかっこいいですよね。
中村:たまたまここのオープンが時代にぴったりはまったと言いますか。10年前には言われていなかったような「サスティナブル」や「フードロス」という言葉が出てきたタイミングでちょうど良かったんですよね。コロナ禍のオープンだったのでレセプションも出来ず、メディアに対しては僕が現地からZOOMプレスツアーをやって。スタートのイメージは違ったんですけど、結果的には国内外のあらゆる雑誌に出たし、世界的なインフルエンサーが泊まりに来てくれたりして想像以上の影響力でした。この間は政治家の方も視察に泊まりに来てくださったんですよ。僕らとしては意義ある仕事の一つになっていますね。結構いい仕事だったなぁと思っています。
小柳:中村さんのお仕事は本当に幅広いんですが、列車のプロデュースもされていますよね!福岡だと「THE RAIL KITCHEN CHIKUGO」もそうですが、こちらは西鉄さんからのオファーをどれぐらい具現化されるんですか。それともお任せが多いんでしょうか。
中村:ほとんどお任せですね。「こういう線路があるんですけど、ワクワクする電車を作ってくれませんか」っていう感じで。
小柳:意外とざっくりしていますね。でもそれで出来ちゃうんですね!
中村:JR東日本でやった「現美新幹線」も「話題になるような新幹線を作ってくれませんか」という話からでした。
小柳:そんなフリから始まったんですか。
中村:北陸新幹線が出来て、新潟の新幹線も「何かやらないと」となっていたんです。新潟というと「大地の芸術祭」というイベントを毎年やっていてアートに力を入れているので、「世界一速く走る美術館新幹線」をコンセプトにしようと決まって。どういう美術館にしようと思った時に蜷川実花さんが長岡の花火の写真を撮っているのを見つけたので、実花さんの花火のラッピングからスタートし、あとはアーティストを決めてギャラリーと組んでやりました。新幹線の揺れを活かしたアートや、ほとんどがトンネルなので一瞬の光を反射するアートを入れたり。僕らが「こういうのをやってくれ」と言ったんじゃなくて、6人のアーティストがそれぞれ考えてくださったんです。
小柳:中村さんの話を聞いていると、自分たちから働きかけた先に思いがけない結果が出ているという感じがしますね。
中村:1つの成功が次の営業になっているだけなんですよね。JR東日本さんの「東北エモーション」という観光列車をやらせてもらったのがきっかけで、「現美新幹線」の依頼が来て。この2つの事例があったから、西鉄さんから話がきたと思うんです。
小柳:なるほど、1つずつやっている実績が、次につながる大きなきっかけになっているんですね!飲食店だけでなく列車までやるんだと思っていたら、キャンプ場まで作られていましたもんね。
中村:山梨県の小淵沢ってところで直営でやっています。コロナ中は飲食も大変で、僕も思考が止まっていたんですけど「リアルゲイト」の売却益を使って何かやりたいなと思っていて。これは僕の企画というよりも、コロナ中にキャンプ好きになったメンバーが社内にたくさんいたんですけど、特にキャンプ好きだった一人の役員の企画ですね。「キャンプ場作りたいです」という話があってその時は終わっていたんですけど、銀行さんのセッティングで小淵沢の土地を持っている人たちを紹介されたんですよ。
小柳:銀行さんからの紹介だったんですね。
中村:ロースターの時もそうなんですけど「ロースターやりたい」って言われていたらたまたま物件の話がきたんです。今度はキャンプ場に良さそうな土地の話がきたので、担当に「ここキャンプ場に良さそうだよ」って言ったら、彼がどんどん進めてくれて。国の助成金を申請してMAX6,000万円ぐらい頂いて、2万坪を社内で借りました。現場はずっと飲食で店長をやっていたような人が志願して集まり、キャンプ好きメンバー4人でやっています。
小柳:楽しいでしょうね。
中村:すごく楽しいと思います!毎日薪を割ったりしている様子がSNSに上がっていて(笑)。4人の共同生活みたいな感じでやっていますね。
>>SAPIENS TALK Vol.05 中村貞裕(3/4)へつづく。
※中村貞裕インタビュー